本日 77 人 - 昨日 101 人 - 累計 118658 人

最後のキャリア 第一章

一昨日、義姉の一周忌(うちは神教なので一年祭というのですが・・・)が
執り行われました。
姉はまだ51歳と、若くしてこの世を去りました。
一年祭を行いながら、姉の最後について改めて考えさせられました。

ここから数回は「最後のキャリア/死」について書いていきたいと思います。

あなたは人生の最後をむかえるとき、どんな風に幕を閉じたいですか?

今を生きることの大切さは勿論ですが、
人生の終わりに、最後のキャリアをどう完成させていきたいと考えますか?

あなたの墓標にあなたを想像する一文字を刻んでもらうなら、
なんという字を選びますか?

亡くなっていく方々は、
その望みを実現しながら逝けたのだろうか、
悔いはなかったのだろうか。

そして周囲の人達は、本人の思いや生き様を
しっかり受け止め、心に刻めたのだろうか。
してあげたかったことができなかったり、
残された方が後悔をすることも多々ある。

人の死には、必ずといっていいほど
こういった葛藤が残されていく。

どうしたら最高の最後を迎え(むかえさせてあげ)られるのか。
亡くなる本人も、周りにいる人も、
死というものを目前にしたとき、大きな課題にぶつかります。

最初に考えたいのはやはり、本人のこと。

最近の女性でいえば、小林真央さんや有賀さつきさんなど、
最後まで闘い続けた人の話が思い出されます。

姉もそういう人でした。
たった一人で病と闘い続け、ぎりぎりまで頑張った。
姉の遺品ノートには、自分で自分を励まし、
病をおして、規則正しく生活していた記録が残されていました。

亡くなる数年前から、けがや病気で手術やリハビリで
相当に辛かっただろうに、
私達に「つらい」などとは一言ももらしませんでした。
亡くなる数か月前まで、仕事もやっていました。
周囲に迷惑がかかってはいけないと、
プロジェクトの終わりまで、しっかりと完了させて・・・。

亡くなってから身内や友人の方から、生前の話もあれこれ伺いました。
若かりし頃は、大変な苦労があったようです。
早くにお父さまを亡くし、一人になった母をそばで支えながら、
一人で生きてきた姉。
でも、いつも笑顔で私をむかえてくれた姿しか浮かばない。

本当にすごい人です。
気高く、真の意味で強い人。

色々ふりかえって、考えた結果、
姉の墓標に一文字を贈るとするならば、

「律」

かな、と思いました。

常に自分で自分を律し、華奢な体でも逞しく強く生きた姉を
心から誇りに思います。

私はこんな風に最後をむかえられるのか、と考えると、
とても無理な気がします。
でも、だからこそ今の自分の人生をしっかり生きなければならないと
そうも思います。
一生懸命生きることは、
「最後のキャリアをむかえる準備」ではないでしょうか。
人は、死にむかって生きるのです・・・。

今はまだわからない自分の死。
いざ、自分が病に倒れた時、
その時が来たら、また見えてくるものもあるのかもしれません。

「最後のキャリア」第一章。
今夜はここまでにしましょう。