本日 57 人 - 昨日 101 人 - 累計 118638 人

最後のキャリア 第二章

最後のキャリアについて、先日からの続編です。

キャリアの実現には、基本的には家族の協力が不可欠です。
そこで考えると、最後のキャリアの実現においても、
どんな風に家族が支えられるのかで
死に様は全く違うものになると思います。

姉は北海道の旭川に住んでいました。
そして、私達弟夫婦はそこからずっと離れた
岐阜県の飛騨高山に住んでいる。
この距離は、いざ闘病生活を支えようと思うと、
とても遠い遠い距離でした。
手術等で立ち会うにも、自宅から車~JR~飛行機と乗り継ぎ、
移動だけで半日を要します。

それでも、主人はこの距離を何度も往復し、
姉の最後の願いをかなえようと必死で動きました。

最後の姉の願いは、
「弟夫婦の住む高山で最期をむかえたい。」
というものでした。
姉の決意は固く、高校を卒業してからずっと離れ離れだった弟に
看取ってほしいと考えていたようです。
しかし、病気の進行が速く、
旭川から高山の距離という大きな問題を抱えていたことで、
病院のドクターや看護師さんの中からも反対の声が出ていました。

そんな中、主人は何度も姉の気持ちを確認し、
親戚や病院の人達に相談をし、
高山で緩和ケアをお願いできる施設に出向き、
姉をどうやって高山まで連れてくるかを考え、
見ていて頭が下がるほどの行動力で事を進めていきました。

そんな姉弟の熱意に、主治医の先生が
「早く、そして何としてでも高山へ行かせてあげたい」
と協力をして下さり、
ついに姉の最後の夢が実現へと向かったのです。

病気の進行はその間も止まらず、ようやく姉と私が再開した時には
姉は言葉を発することができない程になっていました。
でも、高山に着いたときには、姉は涙を流していました。
多分、わかったのだと思います。

そうして短い間ですが、しばし高山で緩和ケアのお世話になり、
最後の願いをかなえて、姉は静かに旅立ちました。

正直、ここまでのことをできた二人の絆に
私は家族の凄さを思い知らされました。
最後の願いを実現する為だけに、
命のある限り頑張った姉と、
忙しい中、何度も北海道へ足を運び、夢中で姉を支えた弟。

姉の最後のキャリアは、こうして実現されたのです。

そして、これだけで終わらないのが姉の凄いところ。

遺品整理の為に姉の家に訪れて驚きました。
何もかもが整理され、
私達が何一つ困らないように、大切なことはすべて記されていて、
モデルルームのように後片付けがされていたのです。
病気をおして、ここまでしていたことにまた、頭が下がりました。

人生の最後をむかえるとき、どんな風に幕を閉じるか・・・
完璧な最期でした。

先日も書きましたが、
多分自分は、こんな風に人生の幕引きをできないでしょう。
でも、死に様を考えることは大切なんだと、
つくづく感じる今日この頃なのです。